2010年7月19日月曜日

語学学校総括

7/16 語学研修終了 

3ヵ月半に及ぶ語学研修が終了した。この期間、日記には書きつくせないほどいろいろなことがあった。これまでの出来事重視の日記ではなく、今回は精神面でのことを主に書きたいと思う。 

私にとってこの期間は正直つらかったことのほうが多かった。到着してまずホストファミリーの言ってる事は全くわからない、もちろん街中でも英語は全く通じない。この日記でも書いたように日本語化している「カード」という単語すら通じないことには驚いた。後にわかったことだが、映画のタイトルですらも独自のタイトルをつけてしまうように、日本のようなオリジナル至上主義という考えは存在しないらしい。ちなみにポップコーンという単語も通じない。 

語学学校でも友人を作るのは難しかった。授業は1ヶ月全く先生が何を言っているかわからず、回りは同じレベルにも関わらずぺらぺらとスペイン語を話していた。休み時間もスペイン語。当時のクラスメートはセレブのお嬢様が3人。彼女らは私の入る1週間前から学校に在籍していたので、すでにそこでコミュニティが完結していた。毎日ブランドで固めた高級そうな出で立ちでやってくる彼女たちとは、当然感覚も全く違う。他のレベルの学生と友達を作ろうにも私の授業は他の人より一時間多かったため、終わったころには学校には誰もいなかった。 

この頃、自分が理解度の比較対象が言語の似た欧米人しかいなかったというのもあって、遊んでいる人間に負けたくないという悔しさだけで必死に勉強していた。話せるようになれば状況は好転すると信じて。どこかで弱音を吐けば、耐えてる自分がつぶれる気がしていた。弱音を吐いても自分でなんとかするしかないし、状況が好転するわけでもないから。先生やホストファミリーが優しいということが唯一の救いだった。 

5月に入り、やっと先生の言葉が理解できるようになり授業についていけるようになった。この頃例のお嬢様3人組はそろって次のレベルに移動したため、カナダ人のおじさんと1日3時間の個別授業になった。内容は2度目ということもあってかなり理解できるようになった。ここに来て初めてクラスメートと仲良くなった。 

この頃から文章課題が出るようになった。2日に1つお題を与えられてそれについてノート1ページほどの文章を書く。この少し前からmixiの日記もスペイン語で書くようになった。最初はかなり考えながら書いていたが、だんだん慣れてくると瞬発力がついて話す能力もあがった。 

5月中旬、イタリア人との個別授業となった。その頃にはイタリア人のスペイン語の異常な上達の早さはよく知っていたので、正直好ましく思っていなかったが、彼女は後に一番の友達になった。その頃の私のスペイン語のレベルと初めての彼女のレベルが一致したのだ。そして何よりもコミュニケーションの代替手段として英語が話せた。 

ここからは、友達も増えてレベルも順調に上がり、やっと楽しめるようになってきた。ここでやっと自信がついてきたので、VinJのOBさんと再会しタンデムとして会うようになった。スラングのボキャブラリーが増えた。 

企業研修の時、英語がわかる、日本語が少しわかる人が居るということに言い知れない安心感を覚えた。それから通うようになり私にとっては語学学校よりもよいスペイン語の練習の場になった。 

6月下旬にヴルカヌスの友達と再会し、本当に久しぶりに日本語を話した。またスペイン語が話せなくなるのではという、若干の恐怖心と戦いながら。結果的にはいい気分転換になった。みんな楽しそうだという若干の嫉妬心を覚えたのは許してほしい。 

最終的には、レベルとしては当初のクラスメートに追いつきB2で終了した。終わったとき最初から最後まで会話の授業を受け持ってくれた先生に「最初は全然話せなかったのに!」という一言にその先生の苦労が詰まっていると思う。本当に困らせたし、また最後まで付き合ってくれたその忍耐力には感謝している。 

イタリア人のつながりからエラスムスの人と知り合いになり友人、知り合いは格段に増えた。ただ、残念なことに彼らは8月で帰ってしまう。しかし、またルームメイトの大学生から人脈が広がっていくことを期待している。今はあの時よりは話せるのだから。あとは適応していくだけ。

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